アルフォンソ12世

1879年11月29日、遠縁にあたるカール・フェルディナント大公の娘マリア・クリスティーナと結婚した。
3子が生まれた。
長男のアルフォンソ13世はアルフォンソ12世が崩御後に生まれている。
崩御当時はマリア・クリスティーナ王妃のお腹の中の子供の性別が分からず、胎児の生誕までは一旦王位を空位とした上で、長女マリア王女が暫定的な継承権1位の立場につき、生誕した赤子が男児ならその子が直ちに国王に、女児なら長女マリア王女が国王となるように処置がとられた。

NHK福島放送局

コールサインが先に与えられた所は県都・福島市よりも人口が多い郡山市の郡山放送局であったが、開局はほぼ同時であった。
このため、福島市が宮城県境地帯にあることから、ラジオ第1の出力は郡山の方が大きく、ラジオ第2も過去100Wで放送されていた時期があった。
その後郡山局はいわき放送局と共に支局化され、配下に置いている。
東日本大震災と、それによる東京電力福島第一原子力発電所事故以降は、制作される番組が報道と生活情報番組に限られるようになり、原発事故で大きな痛手を負った福島県民の生活再建に向けた支援を放送を通じて行っている。
また大河ドラマ『八重の桜』放送にあたっては、ご当地放送局として大いに盛り上げた。

オスカーワイルドのブラック

オスカーワイルドは、「私は天国に行きたくない。私の友人は誰もそこにいないだろうから」と言っている。
ブラックな発言だ。
彼は1881年暮に出航し、翌年暮までアメリカ各地で講演をして稼ぎ、また、ロングフェロー、オリヴァー・ホームズ、ホイットマンと知り合った。
アメリカ行きは、彼の派手すぎる芸術家気取りと身なりが遠因で、それをからかうウィリアム・ギルバート/アーサー・サリヴァンのサヴォイ・オペラ、『忍耐、又はバンソーンの花嫁』がイギリスで当たり、それをニューヨークで再演する前宣伝に、招かれたという。

ネルソンマンデラ

南アフリカ共和国の政治家であり、反アパルトヘイトの活動家だったネルソンマンデラ。
1960年代に国家反逆罪で逮捕され、27年間の投獄生活を送る。
釈放後は、アフリカ民族会議(ANC)の副議長→議長をつとめ、1993年にノーベル平和賞を受賞。
翌94年の4月、南アフリカ初の全人種参加選挙にて、第8代の大統領に就任した。
マンデラ語録には、人間の弱さをまず認め、その上でそれを克服していく事の大切さを説いたものが多い。
生きるうえで最も偉大な栄光は、決して転ばないことにあるのではない。
転ぶたびに起き上がり続けることにあるとか、勇者とは怖れを知らない人間ではなく、怖れを克服する人間のことなのだという名言がある。

各地のことわざ

世界各地にことわざは存在する。
ユダヤには、「幸せとは香水のようなもの。他人にふりかければ、おのずと自分にも数滴かかる」ということわざがある。
数滴、というのが奥ゆかしくて良いと思う。
フィンランドには、「楽しい人には草も花、いじけた人には花も草」というのがある。
見方によって同じものが全く違った意味を持ってくるという事だろう。

アンドレイ・マルコフ

アンドレイ・アンドレエヴィチ・マルコフは、リャザンの森林管理局長を勤めていたアンドレイ・グリゴールヴィチ・マルコフと、その最初の妻であったナジェージダ・ペトローヴナ・マルコワの息子として、リャザンの地で生まれた。
1860年代の初め、父アンドレイ・グリゴールヴィチはサンクトペテルブルクに転居し、王女エカテリーナ・アレクサンドローヴナ・ヴァルヴァチェヴァの資産管理者となった。
マルコフの最初の学校生活は、1866年、サンクトペテルブルク第5グラマースクールに入学した時に始まった。
この頃から既に、彼は高等数学に強い興味を持っていた。
グラマー・スクール在学中の17歳の時に、彼はヴィクトール・ブニャコフスキー、アレクサンドル・コルキン、イェゴール・ゾロタレフといった数学者に対して、線形常微分方程式の全く新しい解法を提案しており、その結果コルキンの学生らが集ういわゆる「コルキンの土曜日」に招待された。
1874年に学校を卒業すると、彼はサンクトペテルブルク大学で物理数学の研究を始めた。

パスハ

ロシア正教会の伝統では、パスハは普通、四角錐形に成型される。
この形は教会の象徴であり、ハリストスの墓を表すとも言われる。
パスハは伝統的に分解して洗うことが可能な「パソチニツァ」と呼ばれる木枠で作られるが、近年では、プラスチックのような近代的な素材の型も使われている。
型には乳精が抜けるように穴が開いている。
バニラやアーモンドエッセンスで香りをつけ、レーズンや果物の砂糖漬けを加えることもある。
作り方は、パスハの材料をよく混ぜ合わせて鍋に入れ、弱火で加熱してからガーゼを敷いた型に詰めて18〜24時間ほど重しをして乳精を抜いて押し固めるものと、加熱せずに型に入れて固めるものの二通りがある。
四角錐の型以外に、シャルロット、クグロフ、テリーヌの型、あるいは洗った花瓶に入れて成型されることもある。

ラプラタ沖海戦

ドイツ海軍の戦力はイギリス海軍に対して劣っていたため、第二次世界大戦では通商破壊を基本戦略とした。
ポケット戦艦アドミラル・グラーフ・シュペーは第二次世界大戦開戦前の1939年8月21日に、同型艦のドイッチュラントはその3日後に、それぞれドイツ・ヴィルヘルムスハーフェンを出港した。
9月3日の開戦時にはアドミラル・グラーフ・シュペーはアゾレス諸島南方沖に、ドイッチュラントはグリーンランド沖にあった。
通商破壊戦は9月24日に許可された。
アドミラル・グラーフ・シュペーは9月30日にペルナンブコ沖でイギリス商船クレメントを撃沈したのを最初に、10月5日にセントヘレナ島北でニュートン・ビーチを捕獲、7日にアシュリーを撃沈、10日にハンツマンを拿捕した。
10月14日に補給艦「アルトマルク」と合流し、16日に補給を受けた。

Wikiって略すな

Wikiって略すな、とは名言だと思う。
これは削除されたウィキペディアの悪ふざけだ。
アンサイクロペディアみたいなのが、ウィキペディアにも投稿されていたのか、と思うと不思議な感じがする。
ザ・真実という項目もあり、下記の様にある。
明らかに、ザ・真実は擁護者を必要とします。
これら「合意」および「検証可能性」に真っ向から反抗する高貴な魂は、ついにはザ・真実が打ち勝つであろうことを知っており、意見相違の力に対して跪くことを拒絶します。
ザ・真実の最良の擁護者は、幾らかの者が自らのやり方の誤りを見い出し、ザ・真実を支持するために悔悟することを願って、繰り返しザ・真実は正しいという同一の主張をし続けます。
その二、三日後には、十分に多くの人がザ・真実に転向し、ザ・真実が留まることに何も問題はなくなるに違いありません。
これがザ・真実にとっての理想的な状態です。

ACジャパン

公共広告によって、国民の公共意識を高めることを目的に活動している民間の団体である。
アメリカの「広告協議会」を見本として、1971年に前身である任意団体の「関西公共広告機構」が発足。
公共広告を実施する団体としては日本初のものであった。
1974年、これを引き継ぐ形で「社団法人公共広告機構を設立」し、2009年7月には現名称であるACジャパンへ改称。
2011年には公益社団法人化された。
運営は会員による会費制で成り立っており、公的な資金は受け取っていない。
会員には正会員、賛助会員、個人会員がおり、それぞれ企業、正会員社の事業所、個人からなる。
主な活動内容は様々なメディアを通した公共広告の発信であり、制作は正会員である広告会社により行われている。
広告は無料で流されているが、正規料金に換算した場合の広告費は日本国内の広告主でトップクラスの規模である。