選挙人論争

オレゴン州では、一人の選挙人だけが論争になった。
全州での結果は明らかにヘイズを支持していたが、州の民主党知事ラファイエット・グロバーは、その選挙人の前郵便局長ジョン・ワッツが「委託された職にある人でありすなわち合衆国の元で利益を得る人であるために、憲法の第2条第1節の不適格者と主張した。
グロバーは続いてワッツの代わりに民主党の選挙人を入れ替えた。
2人の共和党選挙人はグロバーの行動をはねつけて、それぞれがヘイズに3票と報告したが、民主党の選挙人C・A・クローニンは1票がティルデン、2票がヘイズと報告した。
2人の共和党選挙人は州務長官の署名がある証明書を提出した。
クローニンと彼の指名した選挙人2人は知事の署名があり州務長官によって証明された証明書を使った。

アンナ・アフマートヴァ

1889年6月23日、アンナ・アフマートヴァはオデッサ近郊のボリショイ・フォンタンで、海軍技師であった父アンドレイ・ゴレーンコと母インナ・エラーゾヴナのあいだに生まれた。
5人兄弟で、兄と姉、弟と妹がそれぞれ一人ずついた。
アンナが生まれた翌年、家族は父の退官を機にサンクトペテルブルクへ移住するが、1905年に両親が離婚して厳格な父のもとで過ごした彼女の幼少期はあまり幸福なものではなかった。
はじめツァールスコエ・セローで、のちにキエフとサンクトペテルブルクのスモーリヌイ修道院で教育を受ける。
ラシーヌ、プーシキン、バラトゥインスキーといった詩人の影響を受けながらアンナが詩を書き始めたのは11歳のころである。
父アンドレイは娘の詩をデカダンの潮流に染まったものとみなして嫌悪しており、彼女の詩に自分の姓が印刷されるのを芳しくないことと考えていたため、彼女は曾祖母の姓アフマートヴァをペンネームとして用いることとした。

トヨペット・スーパー

一方、新開発のR型ガソリンエンジンを初めて搭載した乗用車でもあり、社運をかけて昭和30年に登場させるべく開発を進めていた、初代トヨペット・クラウンRS型用パワートレインのテストベッドとしての役割も担っていた。
それまで小型乗用車に使われていた、登場時から時代遅れと言われていた初代S型エンジンより20馬力も強力になった結果、最高速度も100Km/hの大台に乗った。

及川奥郎

及川奥郎は、第二次世界大戦前に小惑星を複数発見した日本の天文学者である。
岩手県出身。
1920年に東京大学理学部天文学科を卒業後、東京府三鷹にあった東京天文台において技師として働いていたが、1927年から1929年にかけて計8つの小惑星を発見した。
三鷹を始め、いずれも関東地方各地の地名から採った名前が付けられている。
1950年に定年退職した。
及川は彼の姓に因んで命名された。

全国戦没者追悼式

全国戦没者追悼式は昭和27年4月8日の閣議決定により、同年5月2日に新宿御苑で昭和天皇・香淳皇后の臨席のもとで行われたのが最初である。
第2回は昭和34年3月28日にやや変則的に実施され、その後昭和38年に日比谷公会堂で8月15日に、昭和39年には靖国神社で8月15日に開催。
翌昭和40年から日本武道館にて8月15日に行われるようになり、現在に至っている。
追悼の対象は第二次世界大戦で戦死した旧日本軍軍人・軍属約230万人と、空襲や原子爆弾投下等で死亡した一般市民約80万人である。
式場正面には「全国戦没者之霊」と書かれた白木の柱が置かれる。

ユダヤ人

「ユダヤ人とはユダヤ教を信仰する人々」という定義は古代・中世にはあてはまるが、近世以降ではキリスト教に改宗したユダヤ人も無神論者のユダヤ人も「ユダヤ人」と呼ばれることが多い。なお、イスラエル国内においてユダヤ教を信仰していない者は、イスラエル人である。
帰還法では「ユダヤ人の母から産まれた者、もしくはユダヤ教に改宗し他の宗教を一切信じない者」をユダヤ人として定義している。
また、ユダヤ人社会内やイスラエル国内においては、「ユダヤ人の母を持つ者」をユダヤ人と呼ぶのに対し、ヨーロッパなどでは、母がユダヤ人でなくともユダヤ人の血統を持った者もユダヤ人として扱うことが多い。

イサム・ノグチ

1941年、第二次世界大戦勃発に伴い、在米日系人の強制収容が行われた際に自らアリゾナ州の「日系人強制収容所」に志願拘留された。
しかし、アメリカ人との混血ということでアメリカ側のスパイとの噂がたち、日本人社会から冷遇された為、自ら収容所からの出所を希望するも今度は日本人であるとして出所はできなかった。
彼は後に芸術家仲間フランク・ロイド・ライトらの嘆願書により出所、その後はニューヨークのグリニッジ・ヴィレッジにアトリエを構えた。

アルフォンソ12世

1879年11月29日、遠縁にあたるカール・フェルディナント大公の娘マリア・クリスティーナと結婚した。
3子が生まれた。
長男のアルフォンソ13世はアルフォンソ12世が崩御後に生まれている。
崩御当時はマリア・クリスティーナ王妃のお腹の中の子供の性別が分からず、胎児の生誕までは一旦王位を空位とした上で、長女マリア王女が暫定的な継承権1位の立場につき、生誕した赤子が男児ならその子が直ちに国王に、女児なら長女マリア王女が国王となるように処置がとられた。

NHK福島放送局

コールサインが先に与えられた所は県都・福島市よりも人口が多い郡山市の郡山放送局であったが、開局はほぼ同時であった。
このため、福島市が宮城県境地帯にあることから、ラジオ第1の出力は郡山の方が大きく、ラジオ第2も過去100Wで放送されていた時期があった。
その後郡山局はいわき放送局と共に支局化され、配下に置いている。
東日本大震災と、それによる東京電力福島第一原子力発電所事故以降は、制作される番組が報道と生活情報番組に限られるようになり、原発事故で大きな痛手を負った福島県民の生活再建に向けた支援を放送を通じて行っている。
また大河ドラマ『八重の桜』放送にあたっては、ご当地放送局として大いに盛り上げた。

オスカーワイルドのブラック

オスカーワイルドは、「私は天国に行きたくない。私の友人は誰もそこにいないだろうから」と言っている。
ブラックな発言だ。
彼は1881年暮に出航し、翌年暮までアメリカ各地で講演をして稼ぎ、また、ロングフェロー、オリヴァー・ホームズ、ホイットマンと知り合った。
アメリカ行きは、彼の派手すぎる芸術家気取りと身なりが遠因で、それをからかうウィリアム・ギルバート/アーサー・サリヴァンのサヴォイ・オペラ、『忍耐、又はバンソーンの花嫁』がイギリスで当たり、それをニューヨークで再演する前宣伝に、招かれたという。